カナディアン・ロッキー・チャリ&登山
記・三堀

「自転車で旅しながら、登りたいと思った山に登る」
 これは自分が山を始めて以来の夢であり、目指してきたスタイルである。今回、この夢を現実とするため、カナディアン・ロッキーへ向かった。「本チャン」である。

レスプレンデント峰(3426m)北西面ノーマルルート
1999・7・16−20
 カナディアン・ロッキー北側の拠点ジャスパーで、日本からの登山道具を受け取り、7月16日、ロブソン山域へ自転車で向かった。チャリ旅の装備に加え登山道具まで積むと、さすがにペダルが重い。85kmほど走り、入山口で入域登録をする。このアプローチ・トレイルは入山口より8kmまでは自転車の乗り入れが許されており、この日はそこまで荷を満載したチャリでハイキング道を走り、テントを張った。

 レスプレンデントへ向かう前、ジョンというアメリカ人に出会った。自称リバーランナー(ラフティング・ガイド)の40歳。ジェフ・ブリッジスと同じ声を持つ。登山歴は既に25年。ヒマラヤ経験こそないが、欧米で登ったピークは60を越える。ルートに氷河の危険があるため、ザイルを組んで一緒に登ろう、ということになった。
 二日目、自転車をデポし、彼と雄大で奇景の素晴らしい谷を詰め、バーグ湖畔にテントを張る。ここをベースに頂上を往復する算段だ。
 このアプローチでは、名峰ロブソンの基部を南から北に時計まわりに回り込むことになり、ロブソンの姿が劇的に変化し、重荷でも飽きさせない風景が展開する。とんでもなく迫力ある滝と、流れ落ちる蒼き氷河と湖。世界の名トレイルのひとつだ。
とんでもなく迫力ある滝 エンペラー滝
 7月18日、薄明の空は快晴。3時45分出発。
 レスプレンデントはロブソンと稜線続きのピークで、ロブソン氷河にルートを取る。氷河舌端には「氷河は危険につき、熟練登山者以外は立入禁止」という立て看板がある。ここからモレーン(堆積丘)を少しトラバースし、氷河に取り付く。

 広大なロブソン氷河は、途中のアイスフォール帯により下部、上部に分かれている。下部は表面がほぼ氷で、裂け目に真っ青な水が流れている。経験豊かなジョンに先行をまかせるが、氷河の恐さが分からず、いらぬプレッシャーがかかる。クレヴァスは現れているが、氷は堅く、下部は問題無く通過できそうだ。下部氷河と上部氷河を分けるアイスフォール帯を右に見て左へ行き、アイスフォールの左末端から氷河を抜け、5mほどの岩場を登って上部へと抜け上がった。少々の雪面を登って大きな岩峰の基部を右へ回り込み、岩峰下のアイスフォール帯を避けて、氷河中央寄りにルートをとる。右奥のロブソンからは時折小雪崩がある。一帯アルパインの世界が繰り広がる。やがて左遠方に我々の目指すピークが見えてくる。高い。あんなところまで行くのか。
アイスフォール帯 正面はMt.ロブソン
 上部氷河は雪に覆われており、一面広々とした白い雪原になっている。三、四日前ロブソンのカイン・フェイスを登った四人パーティーの踏み跡が残っていて、それに沿って歩く。左の急斜面にデブリがあり、その横をキックステップで登る。何とも広い氷河で、時間がかかる。歩いても歩いても頂上は一向に近付かない。時計に目をやると既に11時近く。もうこんな時間かとその時思った。時間がかかり過ぎている。今回の登頂は厳しいなと思い始める。

 急斜面を登り、緩やかになったところで四人パーティーの踏み跡は右のアイスフォール帯へと伸びている。我々は左のレスプレンデントを目指すため、ここから独自のルートを取る。


デブリの横を登る この先クレヴァス危険地帯で、ザイルを出す。自分はハーネスを持っていなかったため、ザイルを直接体に巻く。アンカーで確保を取り、ジョンがピッチをリード。クレヴァスの通過にかかる。一箇所ジョンはヒドゥン・クレヴァスに落ちかけ、続いて自分が行った時、彼が踏み抜きかけたクレヴァスをおそるおそる乗り越える。深い。これがクレヴァスの恐さか。本などで「クレヴァスに落ちる」とか「ヒドゥン・クレバスは危ない」などとあるが、どのように危険でどういう怖さがあるのかわからなかった。今こうして実体験してみると、それがどういう意味なのか分かる。底無しの氷の裂け目。その上を雪が覆い、言わば死の落とし穴だ。このクレヴァス帯を2ピッチで抜け、コンティニュアスで歩く。どちらかが落ちた瞬間に止めなければならない。そしてザイルを固定し、落ちた者が自己脱出することになる。しかし自己脱出できない場合、一人で相手を引き上げることは不可能で、ジョンは、氷河は二人より三人、三人より四人の方がいいと言う。とにかくこんな所で死ぬのはあまりに無念である。
無垢な雪面を登る
 ガイドブックのルート説明には「ロブソン=レスプレンデント・コルへ上がる」とあるが、ここからではどこがそのコルなのか判別できない。見た目、頂上へ直登する斜面が登りやすそうだが、ジョンはクレヴァスの危険を憂う。北面して雪崩の危険の低そうな正面ヘッドウォールを登り、一気に稜線へ出る方がいいだろうとジョン。ここも、しかし中間部にクレヴァスが走っており、上部と下部に分けられている。斜度40度ほどの下部を通過できそうな所目指して登ったが、実際クレヴァスを乗り越えることは困難で、右へと際どいトラヴァースをしてゆく。ふと、ヘッドウォール上部へ

「いったい自分はこんなところで何やってるんだ」

 という思いにかられる。50mほどトラヴァースしたところでジョンが乗り越えられそうなスノーブリッジを見つけ、何とか通過。自分もここだけ確保してもらい上部へと登る。上部の雪壁は50度以上あるが、雪の状態が良く、技術的に難しいということもない。

 時間的に登頂は無理だろうし、氷河のプレッシャーが続き、正直今回の登山はもうここまでで充分だと思った。ジョンにもそろそろ引き返す時間じゃないか、と言う。すでに山に負けた発言だ。稜線まで這い上がったところで既に午後1時。頂上はまだ夢のように遠い。

 それにしてもカナディアン・ロッキーはでかい。3000m級だと侮っていたが、でかさを身をもって知った。バーグ湖からレスプレンデントのピークまで標高差1800mある。去年のネパール・ヒマラヤの6000m峰でもBCからは1000mそこそこだった。標高は違うがこの山はそれでもでかい。

「ここから選択肢は三つだ」
 ジョンは言った。
「今登ってきた雪壁を降りる、それか稜線沿いにもう少し行き、下れそうな斜面をクレヴァスを回り込んで降りる、もうひとつはこのまま稜線から頂上を目指す」

 ここまでやってきてまだジョンは頂上にこだわっているのだ。でも頂上はいい。今登ってきた雪壁を下るのも怖い。残るひとつ、稜線から回り込んで下りのルートを見つけることにする。
 稜線は広く歩き易く、下れそうな斜面も容易に見つかった。クレヴァスの危険もなさそうで、こちらが正規の北西面ノーマルルートだろう。

 しかし、何ということか、ここから見上げると頂上がほの近い。
「どうする?」
 とジョン。
「この上の丘まで行ってみよう」
 と言う。そして歩き出す。息を切らせての苦しい登り。立ち止まって見上げると頂上は遥かに遠い。やはり無理だ、と思い直す。

 少し休んでまた見上げると、いや、もう近いんじゃないかと見え再び歩き出す。丘まで行くと一段と頂上が近く見えるではないか。もしかしたら、という気になる。ジョンも同じように感じていたようで言った。
「そう遠くなさそうだ。あと一時間くらいじゃないだろうか」

 時刻は1時40分。行けるところまで行ってみよう、と思った。登頂できるんじゃないかという可能性を感じたのだ。同流会員として根性見せてやれと思った。
「よし、行こう」

 エヴェレストのサウスコルからの頂上往復はこんな気分なのだろうかと想像する。「登れるんじゃないか、いややっぱり無理だ、登れる、無理だ」と思いが行ったり来たりする。

 頂上目指しての登高。広い稜線、というより雪面の中央を登る。頂上へ「俺達のトレース」を刻む。途中でジョンは、
「ここでロープをといて荷も置いて、身軽になって登ろう」
 と提案。それに賛同し、我々は更なる自由を得て、一層近くなった頂上へと登っていった。
頂上へ
 頂上への雪面は緩やかに波打ち、斜度30度くらいで登っている。先頭に立ってキックステップで無垢な雪面にトレースを刻む。だが見た目ほど頂上は近くなく、目の前の丘を越えても確かには見えてこない。

 とにかく登った。邪念を捨て去る。
 息が切れる。
 左は雪庇が張り出しているようだ。
 やがて丘の向こうに三つの小さなとんがりが見えてくる。その一番奥、あれが頂上なんじゃないか。でもまだかなりある。立ち止まって少し休み、再び見上げると「いや、そんなに遠くない」と思える。力が再び沸き再びステップを刻み始める。それを繰り返しているうち次第に頂上が迫ってきた。

 しかし頂上に見えた奥のとんがりは、実は頂上ではなく、更に遠くにまだ高い所があるのが分かった。
「あそこか」

 頂稜は狭くなり左右とも切れ落ちてくる。雪庇を恐れて急雪面をトラヴァースぎみに右上する。そして更に稜線の狭まった、雪庇の切れ間にできた小コルの向こうに、もうそれ以上高いところのない、本当の頂上があった。下方より紛れなき一本の軌跡が自分の足下へと描かれている。
 この頂上に立とうとする瞬間の、密度の濃い時間の興奮は登山ならではである。今までの旅も準備も、そして全ての労苦も、この数歩に集約され、解放されてゆく。360度展開される遥かに広い山並みと、宇宙へと続く青い空に向かって肉体と自由な気持が解き放たれる。
登頂「同流」の文字
 午後3時15分、登頂。ベースから11時間半を要した。雪面に「同流」と文字を書き写真を撮る。ジョンとがっちり手を握り合う。四方が切れ落ちた高みに自分が立っていることが信じ難くもある。そうして至福の20分を過ごした。


「俺達のトレース」を下る。
 左の雪壁(ヘッドウォール)に我々の踏み跡が登っている。ここからだと垂直じゃないかと思えるほど急に見える。そこでジョンは言った。
「あんなとこ登ったのか。俺達はなんてクレイジーなんだ」
山頂より 雪庇の上に「俺たちのトレース」がある
 下りの核心はあのクレヴァス帯の通過だった。背が高く体重もあるジョンはクレヴァスにに落ちかける。最後のピッチは自分がリードし、そのまま斜面を降りた。突然ジョンが雪の中に沈みかけた。
「クレヴァスだ、引け、ロープを引いてくれ!」
 と彼は叫ぶ。下ってロープをいっぱいに伸ばした。何とか彼も這い上がり、危うく難を逃れた。

 危険地帯で精神的に疲労している上、更に途方もない雪原を緩くなった雪に足をとられながらも歩き続ける。結局バーグ湖畔のテントに戻ったのは午後10時55分。行動時間19時間10分の長い長い一日だった。


 ジョンに出会ったお陰でレスプレンデント峰に登ることができた。幸運にも彼は登山経験も豊富で、教えられたことは多い。最も大きかったのは、頂上にこだわることを教えられたことだ。ジョンは、時間より天候が許す限り上へ行くことを望んだ。諦めなかった。頂上に立ちたいのならしつこく登り続けることだと彼の行動は示していた。クライミングのみを楽しむなら頂上に行く必要はない。だが登頂を目的に山に登るなら、あくまでしつこく頂上にこだわるべきだ。こんな当たり前のこと頭では分かっているつもりだった。だが実際途中で気が萎えればそれまでで、しつこさがなきゃ登れる山にも登れない。今回はそれで登頂できた。ジョンには精神的にも引っ張られた。これが登頂を目指す山の登り方なのかと思う。

 翌日からトレイルを戻り自転車で100km近く走って、7月20日、ジャスパーへ戻った。足は極度の疲労と筋肉痛で満足には歩けない状態だった。

 今回のレスプレンデント峰は、自転車によるアプローチといい、登頂の成功といい、完璧なスタイルでできたと思う。我々二人以外に登る者もなく、静謐なる空間に我々自身でラインを引いた喜びは大きい。こんな登山はそうそうできる機会もないが、自分の目指す理想の山旅でもある。


マウント・テンプル(3542m)南西稜ノーマルルート
1999・7・28
「せっかく重い登山具持ってるんだから、もう少し登っとこう」

 で選んだのはジャスパーから200km南下したレイク・ルイーズから、最も高く最も印象的に聳える山、マウント・テンプル。カナディアン・ロッキーのアイガーとも言われる立派な山だ。
同行のサイクリスト坂下氏
 坂下氏(27)という世界一周中のサイクリストも同行することになった。彼は登山経験はほとんどないが、ノーマルルートなら氷河もなく、歩いて登れるため、雪上技術をその場で教え、行けるだろうと思った。彼の装備はレンタル。

 レイク・ルイーズのキャンプ場から登山口のモレーン湖まで上り坂を18km自転車で走る。日の出の刻に歩き始めハイキングコースのトレイルから谷を詰める。雪の残るトレイルをセンティネル峠へ向かって登り、峠より南西稜に沿って頂上を目指す。急なガレ場にも九十九折の踏み跡がしっかりと付けられ、入山者が多いことを示している。ガレを抜けると雪斜面となるが、朝のうちはまだ固い。坂下氏は始めての雪山だが、体力は申し分なく、足取りも確かで問題なさそうだ。最低滑落停止だけは覚えておいてもらいたいと思い、適当な斜面で何度か練習する。

 テラス状へ登り更に稜線を登ったところから、踏跡は左の斜面へと続いている。広い斜面を左上して、頂上はその奥と思われる。もうそれほど時間はかからないだろう。

 右上に見える頂上稜線目指して斜面を左上。坂下氏もついてくるが、「登山はチャリの二倍体力使うな」と。先行の二人パーティーを追い抜き、頂上稜線へ出る。右は雪庇となっており、切れ落ちている。この日は風が強く、バランスを失わぬよう稜線を歩く。正面に見えているピークが頂上のはずはないだろう。あまりにも近過ぎる。だいたいにおいて頂上は見えない奥にあるものだ。レスプレンデントでもそうだった。そう思ってそこまで達すると、しかしそれ以上に高い場所はもうなかった。

 あっけなく、登頂。
 参考タイム4〜6時間のところ、4時間半で登った。この日の一番のり。頂上からの景色はレスプレンデントの時と同じように凄い。しかし手応えのなかった分、感激も薄れてしまう。頂上は風が強く、直下の風の避けられる場所でゆっくりくつろぐ。
登頂
 下山に移る。「事故は下りの時の方が多いんだ」ジョンもそう言っていた。
 風に気を付けながら下降。標高が低くなり気温も上がるにつれ、雪も軟らかくなってくる。最も急な最後の雪斜面を降り始めた時だった。
「ヤべェー」
 と後ろで坂下氏の声がした。振り返った瞬間、彼が滑り落ちてきたのだ。
 5〜6m滑ったところでやたばかりの滑落停止態勢に入り、止まった。いきなりの「本チャン」で滑落停止ができるとはたいした運動神経である。彼は本気でヤバイと思ったらしい。確かにこの時点で制動をかけられなければ、下のガレも飛び越えて危険な事態になっていたろう。何事もなくこちらもホッとする。

 センティネル峠からは一般ハイカーも多く、そうした彼等に対し何となく優越感を感じてしまう。
 モレーン湖から再びチャリにまたがって疾走した。


その他 ウィスラー山(2464m)
1999・7・12登頂
 ロープウェイで肩まで。そこから歩いて30分で頂上という、展望台的な山。

カナディアン・ロッキーは世界有数の観光地であり、登山エリアである。訪れる人は多種多様だ。そんな中でも自転車で旅をし、山にも登るというのはシンプルにして最高のスタイルだと信じている。

 旅には日常にはない密度の濃い時間とドラマがある。チャリダーとして憧れの南米を次に旅するつもりである。

カナディアン・ロッキー登山概要
Mt.テンプル山頂にいたクマ クマには注意!
 ピークを登るにあたり、許可証類の取得は一切不要。アプローチで一泊以上する場合は入域登録が義務付けられている。これは同一エリア内でのハイカー過多を防ぐためと、環境への影響を最小限に抑えるための注意事項を各人に徹底させるためである。一般的な観光客は、登山をしている我々が考えるよりずっと、自然環境への意識が低いのが現実であるようで、カナディアン・ロッキーの国立公園に入る者たちへの徹底した呼びかけ行為は、日本も見習うべきところが多いと思う。特に当地で注意すべきはクマ対策であろう。現に自分も何度かクマを見た。
 公共交通機関が不便なため、アプローチは車(レンタカー)が一般的。主要道沿いだけでも登山欲を刺激される山はいくつもあり、その他の山域もアプローチに何日も歩くところはなく、短期間での登山が可能。登山口には自己申告の登山届も出せ、遭難時の救助システムも外来者には便利になっている。
 アルパイン登山をする上で氷河は避けては通ることはできず、当地もピークのほとんどが氷河上にルートをとることになるため、単独での登山は危険であろう。単独の場合、植村直己氏の竹ざお作戦は有効であるようだ。尚、登山シーズンは7、8月がベストとされている。
 登山ガイドブックは幾つか出版されているが、今回自分は、ロッキーマウンテン・ブックスの「セレクティド・アルパイン・クライム・イン・ザ・カナディアン・ロッキー(ショーン・ダグハーティー著・英語)」を参考にした。地図はNRCトポグラフィックマップ(1/50,000)が良いようだ。