岩を登るということ

錫杖岳前衛フェース北沢側フランケ 注文の多い料理店 2002・9・21 石川、三堀
記・三堀

  錫杖を再訪するならここと考えていた。そんな矢先、「岳人」誌に「ロング&フリー」のルートとして紹介記事が掲載されてしまった。人が集中しやしないかと気にかかるも、それを理由に機会を見送るともいかず、錫杖にことのほか魅力あるルートも他に見当たらず。
 ほんの二日前、小川山にいた。以前登ったことのある屋根岩3峰南稜神奈川ルートの派生、南稜レモンルートを登った。ナチュラル・プロテクションによるクラック・クライミングになるピッチがあり、クラッカーにしてみれば難しいとはいえずとも、自分には非常に身になるクライミングであった。慣れないキャメロットを用いて、腕に負担の大きいレイバックで体を持ち上げる。効いているか不安なカムの支点は足の下となり、プレッシャーは登るほどに増す。怖いからといって新たにカムをセットしていると、腕はパンプしそうだ。緊張に耐え、楽になるところまで早く登らなければ。そんな気持の揺れを繰り返しながらピッチの終了点を目指す。ここで鍛えられるのは、カムの選択とセット法、体力、そしてプレッシャーに耐える精神力。早く登り抜けることが結局は最善なのではないかと思った。
 小川山の前菜は、注文の多い料理店へ向かう良い糧となった。
 前日から拭い切れぬ緊張感が腹の辺りに溜まる。「やめよう」ということばを吐いたら、それきり行かなくなるような気がして、口にしなかった。
 新穂高にて一時間半の仮眠後、「店」へ向かう。午前八時過ぎには取付と思われる北沢上部の壁の下に立つ。出だしは残置が無く判然としないが、大テラスからの2P目以降ははっきりと壁にルートのラインが引ける。核心のピッチ、三ヶ所のハングも確認できる。
 ルートの混雑は杞憂に終り、取付に立つのは我々だけであった。
 注文の多い料理店はクラックを中心としたフリーのルートで、キャメロットを一セット余り用意した。それらを身に纏ってゆくほどに緊張は増す。
 後続がやってくる。「へたなクライミングを見られちゃうな・・・」
 九時、取り付く。1P目、リード。残置支点は無く、さっそくカムを使用。一箇所立った部分がある以外は容易で、三個のカムのみで大テラスへ達する。気負いからこのピッチが最も緊張し、ちょっとしたところで密かにミシンを踏んでしまった。だが岩にも順化するもので、2P以降は集中できるようになった。
 2P目はフォローということもあり、左上するランペを体を外に出しながら、うまく登り抜けることができた。
 ここからが核心となる。
 すぐ上に第一のハングがあり、これに直接挑むか、ルート図通り右のボルトラダーを絡めてトラヴァースするか迷った。ハングへと思って立ちあがったものの、岩の持つ圧力に抗し切れず、一箇所でも支点が取れれば良いが、取りようもなく、手を出さずして屈する。ビレー点より2mほど右から上方へ向かうボルトラダーへと移り、足下と背中に途方もない空間が広がるのを感じつつ、微妙なフェースを登る。四つ目のピンまで来ると、左の、ハングから上に昇るクラックへ戻らなければならない。この上でもなく下でもない、ここからしかトラヴァースはできそうもない。
 一歩、左足を出す。しかしうまい手がない。ホールドはあるがトラヴァースの方向には効かない。クラックのあのガバが欲しい。あのガバさえ取れば・・・。
 だめだった。A0。右手でスリングを掴み、浅いホールドを二手こなすと、ハング出口のクラックに手が届いた。ここからはレイバックとなるが、途方もない空間へと体を振るのに思いきりが要る。最後に取った支点はトラヴァース前の四つ目のリングボルトだ。クラックは広く、カムの使いようもなく、数メートル上方に見えるクラック上唯一の残置ピンまで支点は取れそうもない。
「行くしかない」
 レイバックは大雑把なムーブに見えるが、足の置き場所など、案外微妙なバランスが要る。手はできるだけ高い位置にある最善のホールドまで上げ、足はバランスをとりながら徐々に上げてゆく。
「いける、大丈夫だ」そう自分に言い聞かせる。
 残置まで登り一本取れると、気分はだいぶ楽になる。この先はクラックが狭まる部分もあり、大き目のキャメロット(#2、#3)で支点が取れた。
 第二のハングが迫る。その先まで伸ばすつもりでいたが、ヌンチャク不足に気付き、仕方なくピッチを切る。一旦石川さんを迎え、再びリードで登り出す。
 ハングを右から越えると、角度がやや落ち、右コーナーと広目で直上する二本のクラックが上がっていた。その間にボルトラダーがあり、精神的にずっと楽になる。見た目ほど易しくはないダブルクラックをうまく使って登ると、第三のハングに当たる。ここも右へと抜けるが、右足をいっぱいに伸ばしてスタンスに届く苦しい登りで、背丈がないと辛いところだろう。後ひと登りで安定したテラスとなり、フォローの確保に入った。
 核心を終えたとはいえ、最終ピッチもクラックからフェースの、残置の全く無い、ナチュラル・プロテクションによる登りとなる。ここを石川さんがかなりのフェースのランナウトをこなして終了点へ登り抜けた。その安定した登りはパートナーとしての安心感をもたらしてくれる。
 終了点は左方カンテと共有となり、同時に着いた「金沢の人」に草もちを頂いたりして交流を深めたのはいうまでもない。
 僅か3ピッチの懸垂下降で取付に戻る。緊張から解放され、代わって充実感が身を包む。惜しむらくは一手のA0だが、他は憂慮したほど苦闘の態とはならなかった。
 全5ピッチに渡って手応えある登攀を提供してくれる好ルートという印象を持った。それを三時間かからず終えられたことは、自信になった。同時にクライミングで見えてきたことがある。今回、図らずもスムースに登れたことで、いつか自身の登攀力が上がってきたのではないかと思った。それにより登攀へのこだわりが自らの中で発生した。
 以前はそう気にしたことはなかった。エイド(人工登攀)とフリーの違いである。どんな手段を使っても上へ抜ける登り方、そして自然の岩に自分の体だけを使って対峙する登り方、目的によってそれを区別すべきだと思った。一手でも人工手段を使ったら、その時点でそのルートをフリーで登ったことにはならない。だが人工登攀を否定するつもりは全くなく、エイドもひとつのスタイルであると思う。いずれにせよフリー登攀力の向上はアルパイン登山の実践において糧となるのは確かである。
 馬場さんが「フリーで登れた」「登れなかった」とよく口にしていたのを思い出す。それは彼なりのこだわりであったのだ。
 また、環境の善悪を度外視すれば、X級ピッチは自分の力で何とかなると思った。それにより自分の動けるフィールドが広がった気がする。
 そしてもうひとつ、岩を登るということがようやく自分のものとして捉えられるようになってきた。限界点が上がり、可能性が広がったというのか、自分の力量が見極められるようになったというのか、漠然と「分かった」ような。いいよな、なんか。