ふたりだけの一ノ倉

谷川岳一ノ倉沢 中央カンテ 2002・7・17 河本、三堀
記・三堀

  どれほど「本チャン」に行こうと思っていても、案外実現できないものである。二回計画して一回行くことができれば良い方か。実現の機会を持つには幾つかの条件が揃わなければ難しい。日程、天候、パートナー、加えて気運。
 数日前、武藤氏と衝立のダイレクトカンテを目指したものの、不運にも車の不調により登山センターから先へ進まずに帰京した。リーダーとして登りたいとかねてより公言していたルートだけに、その機会を失ったことは無念である。だがすぐに一ノ倉を再訪する機会が訪れた。

 三度目の一ノ倉。狙いは中央カンテ。
 一ノ倉出合より岩壁を見上げる。
 我々の他に誰もいない。
 これからこの岩の世界に踏み入るのだ。今回は一ノ倉の圧力を二人だけで受け止めなければならない。他隊と分割できないぶん、プレッシャーも大きいような気がする。そんなことは気にしないことだ。
 途中より雪渓がうまく繋がっており、テールリッジへは楽に取り付くことができた。中央稜取付に出合より一時間で達し、準備をして中央カンテに6時10分取り付く。
 先日までの台風の影響か濡れているところが多く、乾いた一ノ倉は今回もおあずけとなる。出だしはリードさせてもらう。一手目のフレーク状はスタンスが滑って嫌らしく、強引に乗り越す。凹状部は易しいピッチで、注意を怠らなければ濡れていても困難はない。易しい3ピッチを経て中央カンテへ出る。更に2ピッチ、ようやく乾いてきたカンテを登る。かなり早いペースで、ルートの困難も感じられず、調子がいい。
 続いて変形チムニーから合流するピッチをリードする。ルート図通りにはピッチを切ってこなかったため、どこで切るかが迷うところだ。20m余り登ったところ、確保点がつくられており、ここから右と左にルートが別れていた。右は変形チムニーを小ぶりにしたようなチムニー、左はルンゼで中は見えない。ルンゼは濡れている上、落石もありそうで、ピッチを切らずそのまま右のチムニーへ向かった。後でルート図を見直したところ、こちらがより良いルートどりであった。角度はきついがチムニーの途中から右側のカンテに移ると、ホールドも豊富で楽になる。抜けたところで、ロープ残量が少なくなり、ピッチを切った。
 小雨が来る。このまま本降りになると「敗退」も過るが、少しして止んでくれたため助かった。
 ここから河本さんが核心のピッチ手前まで伸ばす。核心を譲ってくれるところが心憎い。
 「X+またはA1」
 イメージしていたバルジ(バジルじゃないですよ)状の人工ではなく、かぶりぎみだがホールドの大きい数メートルの壁であった。クラシックルートの核心部には大概残置が多いが、例に漏れずここにも幾筋もスリングが垂れている。アブミを用意してきたものの、残置を掴んでしまえば体を上に持ち上げることは容易で、最初の核心を抜ける。
 少し右上すると二つ目の核心が現れた。ハングしたクラック。ここにも残置スリングが多く、これを掴むと多少強引になるが登り抜けることができる。結局アブミを出すことなく旧四畳半テラスへ達する。まだリード慣れしていない時にここを登れば、かなり苦労すると想像されるが、今回はまだ精神的に余裕が持てる。この状態を夏の岩シーズン中維持してゆきたいものだ。
 ここまで来れば終了点が見えかける。草付きまじりのV〜W級のピッチをつるべでこなし、烏帽子岩の裏へ回り込む。濡れたルンゼは嫌らしいが、何とか抜けると笹の繁る見覚えのある地形へ達した。終了点である。全11ピッチ、四時間で完登。
 再び小雨が落ちてくる。少し下って南稜終了点へ2ピッチ懸垂下降。南稜へは濡れた草付の下りが嫌だったため右側の6ルンゼを懸垂で下ることにした。ここもびっしょり濡れてつるつる滑り、ロープも濡れて絡みやすく、下降に時間がかかる。
 本チャンは往々にして下降に手間取るものだが、今回もなかなか取付に戻れない。
 2ピッチ下って南稜に移り下部のチムニーの下へ降り立つ。ここからロープを引くが、こともあろうにチムニーの上でロープがひっかかり、回収できなくなってしまった。おかげで南稜までもちょっとだけ登ることができた。しかし驚いたのはここの岩の状態である。開拓以来、幾多数え切れぬ者たちが手をかけ足を乗せたであろう岩は磨かれ、一ノ倉の岩壁登攀の歴史を刻み込んでいる。雨に濡れそぶり、よけいつるつるになっている。一般登山道のように人の匂いが染みついている。ロープは、我々を返さぬと言わんばかりに、何者かの手によって絡みつけられたとしか思えないほど複雑に岩隙に埋め込まれていた。
 南稜テラスの下まで懸垂で下り、そのまま衝立を背に下った。
 一ノ倉沢出合に立って一ノ倉を振り返る。この時がいつも好きだ。今自分が触れてきた岩壁は、登攀前の拒絶感をいくらか軽くして、馴染みある姿を見せてくれる。上空のガスは抜け、一ノ倉は再びその全貌を見せていた。それにしてもすっきりと晴れた一ノ倉を見てみたいものだ。