あの時は強かった

白峰三山縦走 2002・12・27〜29 
記・三堀


 単独で冬の縦走をしたかった。北鎌が再び中止になったため、これを機会に単独縦走を実践することにした。
 白峰三山は白根三山とも言い、南アルプスの北岳、間ノ岳、農鳥岳の総称である。これに中白根岳、西農鳥岳を加えた3000m峰五峰をひと続きの稜線で結ぶ、日本の高峰の縦走ルートだ。南アルプスの縦走を考えた時、アプローチも比較的よく、魅力的なルートに映る。
 六シーズン前、初めての冬合宿で馬場さんとやって来たのがここだった。その時と同じ二泊三日の行程で計画した。

 27日はまだ平日ということもあり、奈良田の発電所周辺には登山者は皆無、スーパー林道にも誰もおらず、ひとり早川の渓谷をぽくぽく歩いた。歩き出して一五分ほどで車に携帯電話を置き忘れたことに気付いたが、それを戻る気も起きず、そのまま歩き続けた。緊急連絡手段を断つというほどの覚悟があったわけではない。上空はごおごおと強風が吹き荒れている音がし、渓谷にも時折樹木を揺さぶる地鳴りのような風がやって来る。不安が募る。

 三時間の林道歩きを経て池山尾根に入るとしばらく急登が続き、サラサラの積雪に足下が滑り消耗する。いつのものか単独行と思われる踏み跡があり、それを辿って池山小屋に達する。もう少し、樹林のトレースを登って2300m付近の急登を前に幕営。六年前、馬場さんと初日に幕営した所までは達せなかった。

 あの時はまじめだった。三時起き、五時過ぎにはヘッドランプを点けて出発していた記憶がある。独りの今回、四時起きのつもりが、寒い朝起きるのも億劫で寝過ごす。出発は樹林でも明るみ出す頃。ワカンでのラッセルと思いのほか長い登りでボーコンの頭にはなかなか行き着かない。途中で踏み跡の主、単独の女性が降りてくるのに出会う。ボーコンの頭まで行ったとのことで、このまま夜叉神まで戻るという。馬場さんとボーコンの頭でモルゲンロートを拝んだはずだが、今回登り抜けた時にはとっくに太陽は上がっていた。
 空は青いが、風が白い吹雪を伴って稜線上を吹き抜けていた。恐れていた強風だ。天候は徐々に崩れるものだが、風は吹けば一転して地獄である。ひとりで稜線上で風に怯える自分を想像しながらも、地獄へと進んで行った。
 八本歯の下りは懸垂用の残置があったもののロープは出さず、危うい積雪に神経をすり減らしてクライムダウン。場所によっては「靴幅リッジ」になっており、切り崩しながら進み、ナイフリッジは馬乗りになって足場を確保して進む。コルからの登り返しは強い地吹雪にサングラスが曇り凍りつき視界が利かず、風に体力が奪われ進まない。もう北岳山頂などどうでもよく、夏のトラバース道の斜面を切って北岳山荘に向かった。
 冬期小屋の扉を開けた時は昼過ぎで、すでに体力精神とも消耗していたが、前回も二日目に農鳥小屋まで行っていることだし、経験で勝っているはずの今回行けないはずはない、と更に進むことにする。農鳥小屋に達していれば、三日目の下山は濃厚になり、安らかな下界に近付けるとも思った。
 だが、あの時と比べて状況が悪かった。風は西から強く吹きつけ、立っているだけで体力を奪ってゆく。数歩の登りが苦しく、息継ぎに立ち止まっても荒い呼吸は一向に治まらない。
 この登りは知っている。登っても登っても間ノ岳には着かないのだ。
 登っても登っても間ノ岳には着かない。やっぱり着かない。
「もうここでやめて、泊まりたい……」
 しかし状況が悪い。風を避ける場所がない。小屋まで辿り着かなければ。よく六年前農鳥小屋まで行けたものだ。馬場さんと北岳頂上を踏んだ上、着いたのが午後二時前のはずだ。
 あの時は強かったのか。
 今までもっと強い風も、もっと体力的に厳しい山行も経験してきた。それを思えば行けるはずだ。それにしてもアコンカグア頂上稜線以来の呼吸の苦しさは、いったいどういうことだ。ザックを降ろす余裕もなく、北岳山荘から雪以外は何も口にせず行動し続けた。
 尽きぬ登りに気が遠くなりかけた時、「三一八九 間ノ岳」の標が現れた。

「やった、ヤッターーー!」

 思いきり叫んだ。それにより感情は奔流となって溢れ出す。
 あとは下れば農鳥小屋だった。だが記憶と違い、小屋は遠かった。小屋に着いたのは午後四時過ぎ。期待していた冬期開放はされておらず、それどころか吹き溜まりで小屋は赤い屋根しか出ていない。風当たりの弱い場所を掘って防風のブロックを積み、整地する。テントへ入ったのは暗くなりかけた頃。

 甲府の灯が見える。あそこは天国、ここは地獄。はやくあそこに下りたい。
 呼吸は荒いまま回復せず、体の消耗は限界だった。テルモスの残りと、雪を融かして作った400tほどの紅茶を飲んだところで吐き気をもよおす。
「何か口に入れなければ……」
 しかしスープも食べ物も摂ることはできず、ラジオと風の音を聞きながら寝袋に入った。風でこれほど消耗させられているとは。

 寝返りばかり打ち、結局一睡もできずに朝が来た。怖かった。冬の単独行とはこうもプレッシャーが大きいものなのか。またあの風の中に出て行かなければならない。降雪か、夜雪がテントへ当たる音がしていた。未明に外を覗くと闇に舞う吹雪がヘッドランプに照らし出され、街の灯が見えなくなっていた。視界がない。こんな天候のはずではない。悪夢のようだ。だがこれが現実だ。再び寝袋へくるまる。

「安全に自力で下りることだ。冬型でもここはそうは荒れない。チャンスはあるはずだ」
 明るくなるまで待つ。テントに光が入るようになり、外を確認すると、街がまた見え出した。山稜はジェットストリームのような雲がたなびいて風が荒れているが、視界が利けばやれるような気がした。今日下りることができるかもしれない。大門沢下降点まで三時間耐えれば安全圏も近い。
 何とかラーメンを腹に流し込む。不安と恐怖をたったひとりで請け負う。テントは畳まず、ザックにそのまま押し込み、風の中へまた進み出た。風は強いが、突風ではなく、ほぼ一定に吹きつけてくるだけ助かる。西農鳥への登りは岩場になっているが、前回ここに来たとき馬場さんがルートを見上げ、
「ザイル要らないねえ」
 と言った。その同じ場所に立ち、あの時の馬場さんと同じように口にしてみた。
「ザイル要らないねえ」
 今日は行けると思った。
 西農鳥を越え、終始風の吹きつける稜線の西側を歩き、最後のピーク農鳥岳山頂に立つ。大門沢下降点までは東側をトラバースして下ることになっているが、薄いガスと地吹雪でルートがわからない。この辺りの斜面は雪崩の危険があり、最も雪崩の危険の少ないところまで稜線を行き、目印となる窪んだ地形の向こう側まで真っ直ぐ走った。下降点はうまく見つかった。
 東側となる大門沢は急だが雪崩の危険は小さく、風もない安全圏に感じられた。シリセードで下り、左の樹林へ入る。下りだがワカンでも深雪に苦労する。大門沢小屋近くで、登ってくる四人パーティーに会い、助かった思いだった。標高を下げるに従いどんどん少なくなる雪に、下界の近いことを感じながら歩く。下降点から四時間半かかり奈良田の車に着いたのは二時近くだった。前回は午後一時頃だったはずで、稜線から四時間で下っている。やはり、あの時は強かった。いや、状況の違いだ。

 今回はいつになく厳しい山行であった。左内側靭帯を痛め、帰りの談合坂で空腹と思って買ったパン二個さえ食べ切るのが苦しいほどに疲弊していた。