一 ノ 倉 尾 根

2006/03/12 遠藤、三ツ堀(記)

 二月末に予定していた錫杖は天候のサイクルが悪く中止。三月に延期というつもりが、遠藤氏の希望で目標変更となった。

 一ノ倉尾根はネーミングこそ“尾根”とマイルドだが、エイドピッチも入るクラシカルなアルパイン・ルート、という話だが、道具とテクニックの発展した現在のクライミングの目で見るとどうなのだろう。

どんなに道具が発達しても、雪崩を喰らえば全てが無だ。今回最も恐れていたのは尾根へのアプローチで雪崩にやられることだった。天気予報では気温が上がるとの情報で、未明の気温の低い時に危険地帯を通過する策も効果薄の気がした。だが、突っ込むなら早い時間に越したことはない。

気温が低く積雪後などは、外気温や時間とは無関係にいつでも雪崩は起こり得る。しかし春日中、雪を融かすほどの日射はほぼ確実に雪崩を引き起こす。春の陽気で気温の上がる頃谷にいてはいけない。

前夜発、天神平のロープウェイ駐車場で遠藤氏と待ち合わせ、仮眠をとることもなく準備、登山センターに計画書を出して雪の林道に入ったのは1時20分頃。夜の、である。

先行二人パーティーがいて、一ノ倉沢出合で追いつく。3スラ(滝沢第3スラブ)狙いだが気温が高く、雪の状態がいまいちで迷っている。暗くて見えないが、情報によれば本谷沿いにはすでにかなりのデブリがあるようだ。一ノ倉尾根へは本谷から右へ登る衝立前沢ではなく、我々は出合右の雪の斜面に取り付いた。アプローチの雪崩の危険はこれで難なく回避する。

ヘッドランプの灯りの中、遠藤氏の絶妙なルートどりで尾根に乗り、ひたすら藪と雪の尾根をたどった。この時期にして既にだいぶ雪が落ち、地面を歩くことも多い。標高も上がり、衝立岩が同じくらいの高さで見える。一ノ沢の中間部辺りで灯りが揺れている。あの二人パーティーは3スラは止めたようだ。

雪がザラメで締まりがなく、斜面では不安定なラッセルとなり時間がかかる。この雪の状態が続くとなると、完登は厳しそうだ。

それでもなんとなく進み続けていると、第一岩峰と思われる高い岩壁に当たり、その左の急なルンゼを上がっていった。岩壁沿いはシュルントが開き始めている。足下のきまらない、不安定な登りを我慢して突き当たりまで登り、一息入れる。左は一段下がって急なルンゼとなっている。こいつが衝立前沢から上がってきた場合の、リッジへ出る最後のルンゼだろう。上部はうかがえないが、あと100m弱で第一岩峰奥のコルに抜けられるはずだ。

ようやく明るくなってくる。

悪相でロープを出す。最初は左のルンゼへ降りて登ろうとしたが、クレバスが重層的に割れていて乗り越すことができずに引き返す。正面の立ったランペ状の草付に乗った雪斜面を攻め、強引に登って潅木で切る。ここからルンゼへ再び入り、50m一杯伸ばしてリッジへ抜けたが、右に寄り過ぎ身動きの取れない場所だ。遠藤氏にトップロープ状態で左のコルへ抜けてもらう。ちょっとほっとできるロケーションだ。
ここから、今振り返れば核心の岩稜が始まった。

 (核心の岩稜帯)

先ずはルンゼを詰め、微妙な登りで細いリッジに上がる。小さなアップダウンの連続する複雑なリッジにザラメの悪い雪が乗り、非常に不安定だ。三月の雪とは思えない湿り気と締まりのなさに苦労する。所々にある潅木がホールドとなるが、トラバースなどは足場がきまらず心許ない。思わぬ時間がかかってしまう。

敗退気分が上がってくるが、進むほど敗退も困難になってゆく。

細い木の根に巻かれた黄色い残置スリングで7mほどの懸垂。先行の遠藤氏が降りている時、

「バキ!」

 という音が・・・。「あ、やばい・・」と思いつつ、ここで「木が折れた」なんてことを言っても、彼には何の得にもならない。ここは黙っておこう。懸垂に耐え得る潅木は、ここにはこいつだけしか見当たらず、自分の番では下でロープを固定してもらって懸垂をした。これでもう敗退できないところまで来てしまった。突っ込むしかない。

 悪い雪に苦労しながらも、もう一度短い懸垂を交え、ようやく岩稜帯を抜ける。そのまま急な草付きを登ると、エイド登攀となる懸垂岩に当たる。エイドという話ほどには立って見えない。フリーでも行けそうだが、実際登ればそれなりに傾斜はあるのだろう。

 (懸垂岩エイドピッチ)

 迷いがあったようだが、当初の話通りここは遠藤氏がリードで行くことになった。標準どおりのA1で急傾斜部を抜け、姿が見えなくなってからも悪いのか、ロープの伸びがよくない。ロープの動きから何か迷っている様子がうかがえたが、やがて「解除」コールが降りてくる。気温が高く、時折落雪がある。素手になっていけるため、フォローの気安さでA0でガシガシやっていると、勢いが出てきて一気にビレー点に着いてしまった。アブミ不要か。

そこからリードを交代し、立っているがホールドがある凹角を抜け、雪壁を鉄拳で登ると、上部のルンゼが見えた。相変わらず雪は悪いため、ルンゼではなく右の潅木のリッジをもう1ピッチ、ラッセルで直登。今度は遠藤氏リードで急なルンゼから笹の隠れた雪壁に突っ込み、最後の段を乗っ越すと傾斜が緩んで、座って休める場所になった。

核心は終わった。悪雪に時間をとられたが、11時過ぎ。一ノ倉岳を越える余裕は充分ある。遥か下となった困難な岩稜帯を二人パーティーが登ってくるのが見えた。彼らは今日中の下山は微妙だろう。雪が降り出した。

下山への不安は国境稜線で視界がなくなることで、何とか視界のきくうちに西黒尾根に入りたいと思った。


 (ダイレクトルンゼ)

所々微妙なポイントはあるがほぼ歩きのリッジを辿り、岩峰群に遮られたところで右へトラバースする。一本細いルンゼを見送り、幽ノ沢3ルンゼから上がってくる上部のダイレクトルンゼへ出ると、ここへきてようやく雪の状態が良くなり、アイゼンの前爪とダブルアックスでさくさく行けるようになった。スリップすればそれこそダイレクトに幽ノ沢だが、それは考えないことにする。ふくらはぎがだいぶパンプしてきた頃、傾斜は緩んで一ノ倉岳へと繋がるリッジに抜けた。息切れのする歩きに耐えると、やがて、国境稜線へ出ることができた。12時55分。一ノ倉尾根、完登。遠藤氏と喜びの握手を交わす。充実のこの瞬間がいい。


(実は西黒尾根の下り)

西風が吹きつける国境稜線を歩き、1時間ほどでトマ・オキを越える。視界は良くなかったが豪勢な踏み跡のおかげでそれほど迷うことなく西黒尾根に入ることができた。あとは一直線。登山センターへ転がり降りると午後4時を回ったところだった。

春の腐り雪とも違う、乾燥していながらザラメの固まらない、悪い雪質でよく登ってこられたものだ。その分充実した登攀ができたが、ここも、また来るかと問われれば、ね。

「・・・もう来ない」

 積雪期のアルパインは勢いだ。