ああ!嵐の海に入ってしまった!
これは大学勤務時代のある日の話です。私のもとに日本から一通の手紙が届きました。私のその後の人生を180度変えました。しかし、その時の私は夢にも思いませんでした。

私は急いで手紙をを開けると、それは国立の岡山大学の入学許可書でした。なぜか、目が潤んできました。涙を隠す為に、すぐ研究室から、大学の運動場に出ました。運動場で私は歩き回り、心の中で何回も何回も呟きました。

「私は博士になれるんだわ!」

こうして、私の日本での私費留学が始まりました。

1987年5月のある日、東京行のフライトです。私はもう一度祖国を眺めました。愛する人、愛してくれる人を残して、女性一人で、未知の異国へ行きます。年は23歳、財布には3万円しかありません。恐怖や不安などはありませんでした。希望が太陽のように私の心を照らしていました。

苦難の留学第一歩
東京の友人の家に住んで、4ヶ月のアルバイトで、入学金と授業料を貯めました。私は東京を離れ、岡山大学に向かって出発しました。

新幹線の列車で、後にした一つ一つの都市を眺めながら、私は声をあげて泣きました。
私にとって、この4ヶ月は4年いや40年の長さでした。

4ヶ月の間、私は幾度も月を見上げました。蘇軾の詩「但願人長久、千里共嬋娟」を思い出しました。祖国にいる家族もきっと私と同じようにこの月を見上げて、私のことを思っています。
月は異国に住む私の心の家族でした。

やっと、留学の第一歩が終わりました。私は極めて強い精神力を持っている自分に初めて出会うことが出来ました。

博士号を目指す
私は研究生として岡山大学文学部に入学し、アルバイトをしながら、受験勉強をしました。入学後の4ヶ月目、岡山大学大学院の入試に合格し、正式に入学しました。入学してから、ある民間の奨学金を得られ、2年後、修士学位を取得できました。

博士号を取るのは夢でした。その為に、修士課程の2年目から論文を書き続けてきました。
私には進学の選択肢は国立大学しかありませんでした。私立大学に入る経済力がないからです。私は奈良女子大学を自分の進学大学に選びました。

私は紹介などなく、大胆にも、奈良女子大学のある教授のご自宅に電話をかけました。教授ご本人が電話に出られました。なぜか、その時の自分はとても落ち着いていました。教授は論文を郵送して下さいと私の願いを受けて下さいました。

電話の後、私はすぐ論文を教授に郵送しました。教授のご返事が届くまで一週間かかりました。しかし、私にとっては一世紀にも感じられました。教授の返事が来るまでずっと寝ていられる薬があればいいなと思いました。

奈良女子大学博士課程に合格!
教授の手紙が届きました!
手紙を開けると、「傑作」という先生の評価が目に飛び込んできました。14年間過ぎましたが、今でも、先生のこの手紙を大事に大事にしています。

その後、私は順調に筆記テストと口頭試問にパスでき、奈良女子大学人間文化研究科博士課程に入学しました。入学後、学校より日本政府文部省奨学生に選ばれ、授業料免除の他、毎月文部省から補助を受けることができました。おかげさまで、経済的な不安は全く無くなりました。4年間の勉強を経て、所定単位を取得、該大学博士課程を修了しました。

しかし、私は残念なことに博士号を取ることが出来ませんでした。

新たな道
7年前、日本某大手電機メーカーの筆記テストと面接に合格し、正式に入社しました。7年間、商品の開発企画、専属の翻訳通訳等を経て、プロの翻訳通訳者としての技術分野の専門知識、貴重な翻訳通訳の実戦経験を多数積んできました。今、フリーランスの翻訳通訳者として、新たな道を探し始めています・・・(完)


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