始めに
私は林麗麗(りん れいれい)と申します。国籍は中国です。1987年私費留学で来日、既に20年も経ちました。2000年に、永住権を頂き、これで、第2の故郷ができました。

少女時代
私は中国湖南省の都である長沙市に生まれ、小さい時、両親は仕事が忙しく、私たち兄弟をおばあちゃんの家に預けていました。
おばあちゃんの家は美しい農村でした。家の前に澄んだ川がゆったり流れ、家の裏には緑一面の山で、春になると、満開のつつじの花で山が燃えているように見えます。いつも、美しいと思っていました。村の子供たちはつつじの花が咲き乱れた山で竹の子を採ったりしていました。

思いがけない大学合格
私は文化大革命以来初めての大学入試(進学率は1%と言われています)に受験しました。しかし、試験後、待っても、待っても、入学許可書が来ませんでした。
ほとんど絶望的になった時、ある重点大学の面接通知書を受け取りました。心臓が胸から飛び出すほどどきどきして、通知書を開け、あの有名大学の名前が目に現れた時、私は自分の目を信じることが出来ませんでした。武漢大学?!何回も何回も通知書を確認しました。

中国の大学進学は日本と違って成績のよいものから順番に学校のほうで学生を決めます。私の第一志望校は故郷の師範大学でした。武漢大学に入るなんて、現実は遥かに私の想像を越えていました。

「人生には自分も予想できない大きな可能性が秘めている」ことに初めて気がつき、限りない青い空を発見したようでした・・・

山水画のように美しい大学生活
夢を見ているような気持ちで、武漢大学の外国語学部日本語科に入学しました。大学のキャンパスは中国でも美しいことで有名です。大学の後ろは青いロージャー山で、大学の前には広い広い東湖が横たわっています。春になると、桜の花が咲き、遠くから見れば、雲が漂っているようで、恋をしたくなります。
夕食の後、学生たちは夕日の下の並木道で散歩しながら、本を読んだりしていました。


希望しなかった就職
大学を卒業する時、私の第一就職希望は故郷の師範大学でした。しかし、指導教官から話がありました。
「胡さん(既に婚約している同級生)の第一就職希望が君と同じです。冬と夏休みを利用して、北京にいる婚約者に会いに行けるから、希望しています」と胡さんの話を聞かされました。

学校には強制されたわけではありませんが、私は故郷の大学をあきらめ,国家建築機械研究所に就職しました。 今でも、同級生の胡さんはこの就職のエビソートを知りません。

3年後、私は中国湖南中医学院外国語教育研究室に転勤でき、念願の大学専任教師(日本語教師)となりました。


「私の歩んだ道(2)]


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