Tchaikovsky:交響曲第5番ホ短調op.64

J.ホーレンシュタイン/NPO.
68.4.29-30 Kingsway Hall, London  (Reader's Digest)  Stereo
Chesky
CD 94
ホーレンシュタインの60年代以降の録音は、音がまともであれば全て聴くに値するけれど、私にとって最も感動的なのはBrucknerでもMahlerでもなくTchaikovskyの2枚である。
 ひょっしたら濃厚な弦の表情付けとかアゴーギクによってこの演奏を時代遅れと感じる人がいるかもしれない。全体に今風のいい音で美しい演奏ではないからだ。でも、速くはないテンポでこういう表情付けを行っていても決して大時代的な演奏になっていないのは、ホーレンシュタインの一拍目の拍感がしっかりしていてうしろのめりにならないからだろう。そしてこの指揮者特有のたたみかけるようなリズムと躍動感の要素の一つはこの拍感であり、もうひとつは考え込まれたアーティキュレーションの上手さだ。これによって各楽器は非常に有機的につながるようになる。特に終楽章の確信に満ちた強靱な演奏はどうだろう。生気にあふれた弦の表情と金管の対比、決して崩れないバランス、迫真の全奏。これに比べれば響きだけは磨かれているものの、カラヤンあたりの表現方法はかなり一様で大雑把なことがわかる。
ホーレンシュタインの数少ない晩年の録音(特にライヴ演奏)については、よく感情移入型の典型みたいな言い方がされるけれど、本当のところはかなり意志的である。この指揮者の素晴らしいところは、そうした演奏が可能なほど完璧にドライヴできる表現手段とスタイルを持っていたことだと思う。 


Tchaikovsky:交響曲第6番ロ短調op.74「悲愴」

J.ホーレンシュタイン/LSO.
67.5.17-18  London (EMI)  Stereo
Royal Classics
ROY 6458
ホーレンシュタインのEMIへの録音のひとつ。他にはLPO.とのMahlerの4番のみ。メジャーレーベルへの録音もこの2曲以外にはDeccaへのオイストラフの伴奏をしたBruchのスコットランド幻想曲しかない。これだけの指揮者でありながら単発の3枚、それも1枚は伴奏というのはいかにも淋しい。
この演奏は、細部についてどうのこうのといっても始まらないほど感動的な演奏だ。かなり濃厚な表情を持ってはいるが、ロシア的というのではない。洗練されれてもいない。でも十分にTchaikovsky的。
 1楽章におけるメランコリックな楽想とパッショネイトな楽想の鮮やかな対比、一音一音の存在感。小節線であわせるのではなく、横の線を巧みに編みながら進むことによる息の長い旋律線。2楽章の声部のバランス、3楽章の切れの良いリズム。
 特に聴き応えのあるのは終楽章。3楽章の盛り上がりの反動で大きく落ち込むところだが、ホーレンシュタイノ指揮は感傷的にならない確固たる造形で、決して暗くならない。機械的に演奏するのではなく十分に共感をもって演奏しながら気分的に落ち込まないのはこの演奏くらいだろう。
 過去のロマンティックな時代的雰囲気に頼らず感動的な「悲愴」を求めるならばこの演奏は飛び抜けた存在。
上にEMIへの録音と書いたが、これは現在本家ではなく、在庫処分的に廉価版レーベルのRoyal Classics (Disky)へ移されてしまっている。しかし値段が安く音源もしっかりしているならば問題はない。それにしても欲しい演奏を探すのに、今や本家EMIより他のレーベルを探さなければならないのはどうしたことだろう。