Schönberg:室内交響曲第1番op.9 (1) J.ホーレンシュタイン/南西ドイツRso. 56 Südwest Tonstudio, Stuttgart (Vox) Stereo (2) J.ホーレンシュタイン/ストックホルムpo. 67.12.7L Mono (3) J.ホーレンシュタイン/BBCノーザンso.(1935 ver) 70.4.18L (BBC) Mono (4) J.ホーレンシュタイン/デンマークRso. 72.3.15 Danmarks Radio Concert Hall, Copenhargen (Unicorn) Stereo ![]() |
|||||||||||||||
(1) Vox CDX2 5529 Arlecchino ARLA34
|
![]() 編成は、ピッコロ、フルート、オーボエ、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット、コントラファゴット、ホルン2の木管楽器とヴァイオリン2、ヴィオラ、コントラバス。これをみると、オーケストラの縮小版というわけではなく、木管を多用した室内楽の拡大版と言った方がよいかも知れません。意識的に伝統的「交響曲」の範疇からはみ出したような特殊な編成は、Schönbergのアイロニカルな気質と自信でしょうか。 ![]() ![]() こうした音質のせいもあって、この演奏は、この曲に対するいつもの熱さが少しばかり品のよい響きになっています。時折現れる金管の強奏が時代の熱気を伝えはするものの、うねりながら繰り返される音の波は、既に過ぎ去った過去の空間から懐かしい響きとなって届くようです。(追記) ![]() この録音はホーレンシュタイン晩年の1970年のものです。上記Vox録音に見られるような終始張りつめた雰囲気とはちょっと質の違う緊張感に満ちています。当然、編成が大きくなっている分、響きが重くなってしまうのは仕方ありません。ホーレンシュタインのこの頃の演奏は、概ね、強弱の振幅と緩急の対比を大きくとるのが特徴で、この演奏にも一部そうした部分が聞かれますが、このIntaglio盤の薄っぺらなうるさい音からは真価を聞き取るのはちょっと難しいかもしれません。曲そのものの性格もありますが、特に金管群がエキセントリックに響きます。これはBrucknerの9番のIntaglio盤でも同じ経験をしているので、クリアな音であれば、また感じは違うかもしれません。特にこの演奏はBBC傘下のオーケストラを振ったものだけに、放送局のアーカイヴには良質の録音が残っているはずですので、この先CD化されることを期待したいものです。 ![]() 録音には多少難があります。レベルは低いのですが、ブーンというハム音が入ります。初めアンプかプレーヤーのアースのせいかと思ったのですが、演奏が終わり、針はレコードをトレースしたままなのにプツリとハム音が途切れました。演奏収録時に紛れ込んだか、編集、カッティング時に紛れ込んだのかのどちらかでしょうが、この録音が依然としてCD化されない理由がひょっとするとここにあるかもしれません。 なお、このLPに収められているSchonbergとWebernの曲の他、もう1曲 Pour Piano et Orchestreの作曲家Bergは、Albanではなく、1909年生まれのデンマークの作曲家Gunnar Bergの作品です。新ウィーン学派の代表的作曲家3人を並べる形を模してカップリングされたようです。紛らわしい・・・。(追記) ![]()
|
||||||||||||||
(2) IMG RSPO1001/8 ![]() |
|||||||||||||||
(3) Intaglio INCD 7331 ![]() |
|||||||||||||||
(4) Unicorn UN1-75027(英LP) ![]() |
Schönberg:浄められた夜op.4 J.ホーレンシュタイン/南西ドイツRso. 56 Südwest Tonstudio, Stuttgart (Vox) Stereo ![]() |
|||
Vox CDX2 5529 Arlecchino ARLA34
|
![]() この曲は当初、弦楽六重奏曲として書かれ、後に弦楽合奏版が作られました。編成は大きくありませんが、方向としては後期ロマン派の流れの中にあります。こうした雰囲気の楽想で30分ほどの規模まで拡大していること自体、Mahlerより遙かに世紀末的、象徴主義的です。 この曲が作曲されたのは1899年、Mahlerでいうと4番の交響曲を作曲していた頃に当たります。19世紀から20世紀に入ったばかりの頃のウィーンでは、クリムトに代表される象徴主義的な芸術活動の時代から次第に表現主義的傾向になっていきました。 ![]() 演奏は、濃厚な表情ではありますが、以外に引き締まった響きです。ホーレンシュタインの特徴であるうねるような横の線というより、構成的な面を意識したような演奏です。そうは言っても、これはあくまでホーレンシュタインの演奏としての場合で、現代的でドライな新録音と比べれば十分にウェットではあります。ここといったところでの低弦の思い切った弾かせ方や、起伏の取り方などはこの人に特有な点です。ただ、Brahmsのページでも書いたように、南西ドイツRso.との演奏は、音楽の内容以上の激しさを感じさせるものです。 なお、この録音はStereoだが、音が歪む。特に曲の中程からの低域の歪みはかなり気になります。南西ドイツRso.との録音は総じてこうした歪み(録音段階でのものだろうか)があり聴きづらい。場所によっては、低弦がぶんぶんうなっているだけという状態。 The Art of Jascha Horenstein と題されたArlecchino ARLA34は1964年録音とありますが、この録音と同じものです。 ホーレンシュタインの新ウィーン楽派の作曲家について。 Mahlerの8番に収録されているインタヴューの中で、ホーレンシュタインが新ウィーン楽派の3人について語っている部分があります。(Hayesさんの訳・・・感謝。Hayesさんのインタヴューの抄訳はこちら) シェーンベルクは非常に独裁者だった。親しかった(シェーンベルクの弟子の)ハンス・アイスラーに「シェーンベルクから何を学んだか」と訊ねたら「タバコの火の付け方からはじまって何もかも」と答えた。私はそこまで支配されるのは嫌だったから弟子にはならなかった。しかし私はシェーンベルクは尊敬していて、公開演奏があるときはいつも行っていたし、彼の設立した私的演奏協会の会員でもあった。この私的演奏協会の演奏会では会員証を厳しくチェックするのだが、その門衛はヴェーベルンとベルクがやっていた。 ホーレンシュタインのBergを振った録音はプライヴェート録音しか残っていないようです。彼は戦前のデュッセルドルフ歌劇場時代、作曲家の助言を得て「ヴォツェック」を指揮しているほか、29年には「叙情組曲」のオーケストラ版の初演を行っていました。 ベルクとは個人的友情があった。手紙のやりとりもあったし、ベルクは私の演奏を聴きに来ていた。デュッセルドルフで「ヴォツェック」を振ったときは、ベルクも夫人と来て、2週間一緒にいた。彼は全てのリハーサルと初日に立ち会った。・・・・彼はシェーンベルクと違い世界人であった。さほど旅行はしなかったが、フランス音楽をよく知っており、ドビュッシーやラヴェルを絶賛していた。また彼は私に、ディーリアスの「人生のミサ」に強い感銘を受けたことを話した。スクリャービンの考え、音楽に非常に感銘を受けていた。ブゾーニを高く評価していた。シベリウスやニールセンについて彼と話したことはないが、1927年に(フランクフルトでシベリウスやニールセンを聞いて)ベルクが彼らに非凡なものを見いだしていたとしても驚かない。 Webernの録音は、Unicornに「管弦楽のための5つの小品op.5」があります。 ヴェーベルンとは表面的な付き合いで、ゆっくり話したのは、デュッセルドルフで音楽祭をやったとき、ヴィーンからデュッセルドルフへの列車の中で何時間か話しただけだ。彼は恐ろしく堅苦しい人だった。そしてとても内気で欲求不満で、この欲求不満の反動で逆にかなり高慢であった。私は彼を音楽家としての孤立ゆえに高く評価している。私のライブラリーにある彼の作品のスコアはほとんど彼から個人的に買ったものだ。なぜならどの出版社も彼の作品を出版せず、自分で出版していたからだ。 新ウィーン学派の3人についてのホーレンシュタインの感想は、概ね後世に知られているものと一致しています。Schönbergは作曲家として尊敬はしているものの、神経質で独断的(これは同時代の音楽家の共通した感想)。Webernは同じくらい神経質で孤立的でした。その中でBergだけは広い視野をもった音楽家だった、とのこと。 ホーレンシュタインにとって若い頃のこうした体験は決定的であって、彼のレパートリーの中では新ウィーン楽派や近代の作曲家はかなり重要な位置を占めています。上記のインタヴューでもわかるように、新ウィーン楽派だけではなく、当時関わった音楽に対しては特別なこだわりがあったようです。恐らくこれは同年代の演奏家に同様に言えることだとは思いますけれども、自身F.Schrekerについて作曲を学んだことも影響しているに違いありません。ただし明らかに同時代性を意識した演奏方法で、決して新しい音楽を演奏している、といった感覚はありません。これが戦後のPanufnikやR.Simpsonあたりだとホーレンシュタイン節はずっと後退していて、曲の紹介者としての熟練した指揮者という面が強くなっています。 |