Schönberg:室内交響曲第1番op.9

(1) J.ホーレンシュタイン/南西ドイツRso.
  56 Südwest Tonstudio, Stuttgart (Vox) Stereo
(2) J.ホーレンシュタイン/ストックホルムpo.
  67.12.7L Mono
(3) J.ホーレンシュタイン/BBCノーザンso.(1935 ver)
  70.4.18L (BBC) Mono
(4) J.ホーレンシュタイン/デンマークRso.
  72.3.15 Danmarks Radio Concert Hall, Copenhargen (Unicorn) Stereo

(1)はBarker氏によると57年Barden-Barden。Arlecchino盤は64年録音とあるがVox盤と同じ。
(1) Vox
  CDX2 5529
  Arlecchino
  ARLA34
「浄められた夜」とともにSchönberg初期の代表的な作品。初稿は1906年、23年改訂。曲は後期ロマン派からの転換期にあたるもので、グレの歌あたりの巨大指向とは反対の方向へ進み始めた頃の重要な作品。15人のソロ楽器のために書かれていますが、単に編成を小さくしたものではなく、書法が整理されて楽想も小編成にあわせたものに思えます。未だ調性の中にとどまっている作品と言われますが、「浄められた夜」の暗い色で塗り込まれたかのような色彩に比べると、随分風通しのよい現代音楽風な響きになっています。
 編成は、ピッコロ、フルート、オーボエ、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット、コントラファゴット、ホルン2の木管楽器とヴァイオリン2、ヴィオラ、コントラバス。これをみると、オーケストラの縮小版というわけではなく、木管を多用した室内楽の拡大版と言った方がよいかも知れません。意識的に伝統的「交響曲」の範疇からはみ出したような特殊な編成は、Schönbergのアイロニカルな気質と自信でしょうか。

(1) こちらは通常の15人編成のオーケストラによる演奏。今風の軽い音がぽんぽんと繋がっていくような作りではありません。時代をさかのぼったかのようなむしろ後期ロマン派側に寄った演奏。部分によっては、ロマン派の室内楽的に響くところさえあります。象徴主義的、表現主義的な当時のウィーンの雰囲気から考えるとSchönbergが当初想定していた響きもひょっとしたらこんな音ではなかったかと思われます。演奏自体は実に重みのあるしっかりしたもので、一つ一つの楽器の集中力のある音は、全く散漫な印象を与えません。

(2) ストックホルムpo.とのライブ。この時期の放送用の録音としては、楽器の音も鮮明で聞きやすい。冷たくはありませんが、北欧の透明感を感じさせる柔らかな録音です。
 こうした音質のせいもあって、この演奏は、この曲に対するいつもの熱さが少しばかり品のよい響きになっています。時折現れる金管の強奏が時代の熱気を伝えはするものの、うねりながら繰り返される音の波は、既に過ぎ去った過去の空間から懐かしい響きとなって届くようです。(追記)

(3) こちらは1935年版での演奏。Schönbergが後にオーケストラ版に書き換えたもので、作品番号がop.9bとあります。弦楽器群の厚みが大幅に増して、全く別の曲のように響きます。特に弦の響きが重く、管楽器群の輪郭もすっかり大味になっています。もともと管楽器の多い風通しのよい音楽にみえたものが、実は「浄められた夜」の延長線上にあってそこに新しい響きを少しふりかけたような曲だった、という感じです。オーケストラ版になってしまえば、結局「室内交響曲」ではなくなるわけで、音的には新味がなくなってしまう気がします。
 この録音はホーレンシュタイン晩年の1970年のものです。上記Vox録音に見られるような終始張りつめた雰囲気とはちょっと質の違う緊張感に満ちています。当然、編成が大きくなっている分、響きが重くなってしまうのは仕方ありません。ホーレンシュタインのこの頃の演奏は、概ね、強弱の振幅と緩急の対比を大きくとるのが特徴で、この演奏にも一部そうした部分が聞かれますが、このIntaglio盤の薄っぺらなうるさい音からは真価を聞き取るのはちょっと難しいかもしれません。曲そのものの性格もありますが、特に金管群がエキセントリックに響きます。これはBrucknerの9番のIntaglio盤でも同じ経験をしているので、クリアな音であれば、また感じは違うかもしれません。特にこの演奏はBBC傘下のオーケストラを振ったものだけに、放送局のアーカイヴには良質の録音が残っているはずですので、この先CD化されることを期待したいものです。

(4) Unicornレーベルに残されたBeahmsの交響曲第2番と同時期の録音、1906年版15人での演奏。未CD化の録音と思われます。晩年の演奏ではありますが、引き締まった演奏です。全体にテンポをゆったりととっているものの、一つ一つの音の強靭で、やはり現代的なクールな演奏とは一線を画すもの。楽器のバランスを敢えてまとめるようなことはせず、各々の響きをストレートに出すことによってSchonbergの革新性と時代性を伝えます。同じ時期に作曲家たちと生きたという記憶がこの演奏の意志を支えているのでしょう。
 録音には多少難があります。レベルは低いのですが、ブーンというハム音が入ります。初めアンプかプレーヤーのアースのせいかと思ったのですが、演奏が終わり、針はレコードをトレースしたままなのにプツリとハム音が途切れました。演奏収録時に紛れ込んだか、編集、カッティング時に紛れ込んだのかのどちらかでしょうが、この録音が依然としてCD化されない理由がひょっとするとここにあるかもしれません。

 なお、このLPに収められているSchonbergとWebernの曲の他、もう1曲 Pour Piano et Orchestreの作曲家Bergは、Albanではなく、1909年生まれのデンマークの作曲家Gunnar Bergの作品です。新ウィーン学派の代表的作曲家3人を並べる形を模してカップリングされたようです。紛らわしい・・・。(追記)

 この曲には作曲者やWebern編の五重奏版(2種?)、Berg編の2台ピアノ版といった、もっときりつめた編成の録音もあります。音楽の友社の総目録では、Webern編ピアノ五重奏版の国内盤がHMから出ているようですが、他にBSO.CO.(DG)によるもの、A&J.パラトーリによる2台ピアノ版(Schwann)の演奏もあります。

1.南西ドイツRso.(56) 26:16 VOX
2.ストックホルムpo.(67.12.7L) 23:37
3.BBCノーザンso.(70.4.18L) 22:00
4.デンマークRso.(72.3.15) 25:25
(2) IMG
  RSPO1001/8
(3) Intaglio
  INCD 7331
(4) Unicorn
  UN1-75027(英LP)


Schönberg:浄められた夜op.4

J.ホーレンシュタイン/南西ドイツRso.
56 Südwest Tonstudio, Stuttgart  (Vox) Stereo

Barker氏Disco.によると57年Barden-Barden。Arlecchino盤は64年録音とあるがVox盤と同じ。
Vox
CDX2 5529
Arlecchino
ARLA34

R.デーメルの詩に触発されて書かれたSchönberg初期の思いっきりロマンティックな作品。この詩の内容は色々な解説書に書かれていて、それなりに想像はしているものの、私は実際に読んだことがないので、ひょっとしたらかなり違う印象で聴いているかも知れません。特に弦楽合奏版では、詩的というより耽美的印象が強いので、全曲聴き通すと息が詰まりそうになります。
 この曲は当初、弦楽六重奏曲として書かれ、後に弦楽合奏版が作られました。編成は大きくありませんが、方向としては後期ロマン派の流れの中にあります。こうした雰囲気の楽想で30分ほどの規模まで拡大していること自体、Mahlerより遙かに世紀末的、象徴主義的です。
 この曲が作曲されたのは1899年、Mahlerでいうと4番の交響曲を作曲していた頃に当たります。19世紀から20世紀に入ったばかりの頃のウィーンでは、クリムトに代表される象徴主義的な芸術活動の時代から次第に表現主義的傾向になっていきました。

ホーレンシュタインには、上記の室内交響曲1番とこの曲しかディスコグラフィ中にはみられません。無調的な音楽については、音楽史上の評価をしても自らはあまり振らなかったのでしょうか。それでもこの辺までの曲を晩年になっても結構取り上げているのは、同時代人としての共感があったからでしょう。
 演奏は、濃厚な表情ではありますが、以外に引き締まった響きです。ホーレンシュタインの特徴であるうねるような横の線というより、構成的な面を意識したような演奏です。そうは言っても、これはあくまでホーレンシュタインの演奏としての場合で、現代的でドライな新録音と比べれば十分にウェットではあります。ここといったところでの低弦の思い切った弾かせ方や、起伏の取り方などはこの人に特有な点です。ただ、Brahmsのページでも書いたように、南西ドイツRso.との演奏は、音楽の内容以上の激しさを感じさせるものです。
 なお、この録音はStereoだが、音が歪む。特に曲の中程からの低域の歪みはかなり気になります。南西ドイツRso.との録音は総じてこうした歪み(録音段階でのものだろうか)があり聴きづらい。場所によっては、低弦がぶんぶんうなっているだけという状態。
 The Art of Jascha Horenstein と題されたArlecchino ARLA34は1964年録音とありますが、この録音と同じものです。

 ホーレンシュタインの新ウィーン楽派の作曲家について。
 Mahlerの8番に収録されているインタヴューの中で、ホーレンシュタインが新ウィーン楽派の3人について語っている部分があります。(Hayesさんの訳・・・感謝。Hayesさんのインタヴューの抄訳はこちら

 シェーンベルクは非常に独裁者だった。親しかった(シェーンベルクの弟子の)ハンス・アイスラーに「シェーンベルクから何を学んだか」と訊ねたら「タバコの火の付け方からはじまって何もかも」と答えた。私はそこまで支配されるのは嫌だったから弟子にはならなかった。しかし私はシェーンベルクは尊敬していて、公開演奏があるときはいつも行っていたし、彼の設立した私的演奏協会の会員でもあった。この私的演奏協会の演奏会では会員証を厳しくチェックするのだが、その門衛はヴェーベルンとベルクがやっていた。

 ホーレンシュタインのBergを振った録音はプライヴェート録音しか残っていないようです。彼は戦前のデュッセルドルフ歌劇場時代、作曲家の助言を得て「ヴォツェック」を指揮しているほか、29年には「叙情組曲」のオーケストラ版の初演を行っていました。

 ベルクとは個人的友情があった。手紙のやりとりもあったし、ベルクは私の演奏を聴きに来ていた。デュッセルドルフで「ヴォツェック」を振ったときは、ベルクも夫人と来て、2週間一緒にいた。彼は全てのリハーサルと初日に立ち会った。・・・・彼はシェーンベルクと違い世界人であった。さほど旅行はしなかったが、フランス音楽をよく知っており、ドビュッシーやラヴェルを絶賛していた。また彼は私に、ディーリアスの「人生のミサ」に強い感銘を受けたことを話した。スクリャービンの考え、音楽に非常に感銘を受けていた。ブゾーニを高く評価していた。シベリウスやニールセンについて彼と話したことはないが、1927年に(フランクフルトでシベリウスやニールセンを聞いて)ベルクが彼らに非凡なものを見いだしていたとしても驚かない。

 Webernの録音は、Unicornに「管弦楽のための5つの小品op.5」があります。

 ヴェーベルンとは表面的な付き合いで、ゆっくり話したのは、デュッセルドルフで音楽祭をやったとき、ヴィーンからデュッセルドルフへの列車の中で何時間か話しただけだ。彼は恐ろしく堅苦しい人だった。そしてとても内気で欲求不満で、この欲求不満の反動で逆にかなり高慢であった。私は彼を音楽家としての孤立ゆえに高く評価している。私のライブラリーにある彼の作品のスコアはほとんど彼から個人的に買ったものだ。なぜならどの出版社も彼の作品を出版せず、自分で出版していたからだ。

 新ウィーン学派の3人についてのホーレンシュタインの感想は、概ね後世に知られているものと一致しています。Schönbergは作曲家として尊敬はしているものの、神経質で独断的(これは同時代の音楽家の共通した感想)。Webernは同じくらい神経質で孤立的でした。その中でBergだけは広い視野をもった音楽家だった、とのこと。
 ホーレンシュタインにとって若い頃のこうした体験は決定的であって、彼のレパートリーの中では新ウィーン楽派や近代の作曲家はかなり重要な位置を占めています。上記のインタヴューでもわかるように、新ウィーン楽派だけではなく、当時関わった音楽に対しては特別なこだわりがあったようです。恐らくこれは同年代の演奏家に同様に言えることだとは思いますけれども、自身F.Schrekerについて作曲を学んだことも影響しているに違いありません。ただし明らかに同時代性を意識した演奏方法で、決して新しい音楽を演奏している、といった感覚はありません。これが戦後のPanufnikやR.Simpsonあたりだとホーレンシュタイン節はずっと後退していて、曲の紹介者としての熟練した指揮者という面が強くなっています。