Mahler:交響曲第7番ホ短調「夜の歌」 J.ホーレンシュタイン/NPO. 69.8.29L Royal Festival Hall, London (BBC) Stereo |
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BBC Legends BBCL 4051-2 Descant DESCANT 02
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![]() ライナーによると、この曲がホーレンシュタインのレパートリーとなったのは比較的遅く60年代に入ってからで、Yakov Horenstein氏(指揮者の孫)が確認しているこの曲の演奏は5回あるそうです。それは64年3月 にLPO.、67年5月にLSO.、69年8月 NPO.(この演奏)、69年12月にベルンで、71年10月ミラノ・スカラ座での計5回。最初の3回はロンドンのオーケストラを振ったものです。68年10月に演奏されたクレンペラーの7番は不評だったそうですが、こちらホーレンシュタインの演奏は好評だったようです。オーケストラはクレンペラーの手兵であるPO.で、短期間の間に同じオーケストラが共にMahler指揮者と言われた人と全く対照的な演奏をするというのも面白いことで、一体楽員の方はどう思っていたのか興味があるところです。 それにしてもNPO.という優れたオーケストラとの録音が残っていたことは大変嬉しいことです。大体ホーレンシュタインという指揮者は、戦前はともかく戦後は決して恵まれた環境で指揮していませんでしたから、非力なオーケストラでも何とかしてしまうところがあります。しかし、オーケストラは良くなればなるほど意図が忠実に反映されるわけで、特にMahlerの場合、ホーレンシュタインが全てこのクラスのオーケストラと録音してくれれば、それらはことごとく名演になっていただろうということを改めて知らしめてくれます。 ここにもライナーにはP.Fülop氏(レコード芸術にも広告を出しているカナダのLPショップ、MIKROKOSMOSのオーナー、ピーター・フュロップ氏。Mahler録音のコレクターであるらしい。)のMahlerディスコグラフィによる演奏時間の話が載っていて、それによるとリストアップされた35種の演奏の中でこの演奏は最も短いものだということです。この正規盤が出る前私はDescant盤で聴いていましたが、それ程速い演奏だとは感じませんでしたが。 バーンスタインが平均的だという意味ではないのですが、トータルの演奏時間がFülop氏の調べた平均(79分から81分)に近いので比較のために以下に並べてみました。
これを見るとホーレンシュタインのテンポの速さよりクレンペラーのテンポの圧倒的な遅さが目を引きます(恐らく一番遅いのではないでしょうか。Fülop氏のカタログは知らないので何とも言えませんが、まともに演奏する気があるのならばクレンペラーより遅いテンポは想像できません)。その差何と26分。ホーレンシュタインがもう一度第1楽章を繰り返してもまだ5分早く終わる計算になります。 ホーレンシュタインの演奏を楽章別に見ると奇数楽章はそれほど速くない代わりに2つのセレナードが速いことがわかります。逆にクレンペラーの場合は両端楽章と第2楽章が遅いのが目立ちます。 ![]() さて、BBC Legends盤で改めて聴き直してみますと、やはり印象は若干変わりました。それまで聴いていたDescant盤は恐らくエアチェックされたテープが元になっているのでしょうが、音の生々しさはむしろこの平板な奥行きのない音の海賊盤の方に感じます。確かに音そのものの状態はBBC Legends盤が遙かに整っていて綺麗なのですが、少しばかり音が遠くなってしまったようで、力強さに欠けるといったら贅沢でしょうか。ただオーケストラの色彩感については流石にBBC Legends盤の方がよく出ています。 第1楽章は割と静かな印象で、この楽章の冒頭の何か激しくはないのだけれども脅迫観念を背負っているような妙に切羽詰まった雰囲気が良くあらわれています。諧謔の要素は程良くブレンドされて先鋭的な演奏というのではありませんが、例えば柔らかめのテノールホルンの音にしても、強い調子で音楽に割り込んでくる訳ではなく、浮遊しているような独特の響きです(ただし、最新のスタジオ録音のような楽器の音にピントがあった鮮明な輪郭の音ではないのと、このレーベルの音づくりの影響はかなりあるような気がしますが)。 第2楽章から第4楽章の中間3楽章も全体には軽やかな演奏です。速めのテンポをとる2つのセレナードも全く違和感はありません。恐らくホーレンシュタインは両端楽章の重量感とのコントラストを考えてこの中間3楽章を意識的に重くならないように演奏したかったのだろうと思います。 この部分のMahlerの作曲意図はどのようなものであったかわかりませんけれど、Mahlerの個人的な関わりが一番強い音楽でしょう。疎外感や厭世感の吐露ではなく全人類的な苦悩を背負い込むというのでもなく、ある意味個人的な回顧の中から生まれてきた音楽のように思えます。それはまるで過去の風景が次々と回帰するような懐かしさを感じさせます。例えば、兵舎の喇叭や牛のカウベル、昔何の疑いもなく信じていた妖精達。内面にある風景のかけらと意識の断片が入り交じった音楽のストーリーは、幻想的というより幻夢的な雰囲気を持っています。この曲を作曲した時期はMahler本人にとっても割と穏やかな時期で、音楽にもそうした影響があるのか音楽が深刻な響きから離れているのは確かだろうと思います。Mahlerの音楽にはよく記憶に染みついた彼自身の原風景を音化したような響きが聴かれますが、この曲のように意識してそれを利用しようとしたものはそうないでしょう。 Mahlerにとってあまりにもあっけらかんとした印象の終楽章は時に深みに欠けるような言い方をされることもありますけれど、雑多で唐突な疲れを知らない躁の音楽はきっと意図的に作られたものです。「夜の歌」と呼ばれることがあるように、第4楽章までの音楽を「夜」とし、終楽章を朝(昼)の音楽とする解釈があります。そういった視点でみると「昼」の方が私事とは無関係な雑多な要素を多く含み、かつ個々のつながりは遙かに希薄なのかもしれません。これは言ってみれば覚醒された世界が必ずしも理路整然とした関連性を持っていない、ということではないでしょうか。第6交響曲に相対し、また第2交響曲の讃歌とも相対した音楽を、言ってみれば楽譜通りの即物的な表現の仕方でホーレンシュタインは演奏しています。そしてここでの演奏は、徹底的に肯定の音楽になっているように聞こえます。 ここでも最晩年のホーレンシュタインの音楽に見られる夾雑物を排した音楽との純粋な対峙の姿勢が見られます。「大地の歌」がその最たる演奏なのかも知れませんが、50年代から60年代初めの頃の情念の表現とはかなり変化してきているようです。細部の表現に拘らず益々大局的な視点でよりシンプルな解釈の一貫性を持っています。それが正しいか否かは判断のしようがない問題ですけれど、こうした一貫性を持った演奏の説得力がホーレンシュタインの魅力でもありますし、Mahlerのオーソリティとして評価された要因でもありました。 演奏後大きな拍手もそのまま収録されていて、イギリスでの熱狂ぶりが窺われます。 |
Mahler:交響曲第8番ホ長調「千人の交響曲」 J.ホーレンシュタイン/LSO. BBCcho. BBCコラール・ソサエティ ゴールドスミス・コラール・ユニオン ハンプステッド・コラール・ソサエティ エマヌエル・スクール・ボーイズcho. オルピントン・ジュニア・シンガース J.バーカー、B.ハット、A.ギーベル(S) K.メイヤー、H.ワッツ(A) K.ニート(T) A.オルダ(Br) A.V.ミル(Bs) 59.3.20L Royal Albert Hall, London (BBC) Stereo ![]() |
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BBC Legends BBCL 4001-7 ![]() |
![]() この辺のところをかいつまんで要約すると次のようになります。 1958年、BBCの音楽部門プロデューサー、ロバート・シンプソン(作曲家、Rbert Simpson)は1960年のMahler生誕100周年のために交響曲全曲の演奏をBBCに働きかけていた。そして、その年の10月、第3放送の予算が会計年度内に消化できないことがわかり、この予算の残を、最も金のかかりそうな第8交響曲の演奏に振り向けることにした。 しかし、ここで、会場、ソリスト、コーラス、オーケストラ、そして何より指揮者を見つけなければならなかった。期限は翌年(59年)3月末。ここで初めて当時VoxにMahlerを録音していた(1番、9番、亡き児をしのぶ歌)ホーレンシュタインの名前が挙がった。 当時、ロンドンはまだMahlerを享受する環境ではなく、批評家たちの評価も否定的だったようです。それまでのこの曲の演奏記録は、1913年、36年にヘンリー・ウッドの指揮で、48年にエードリアン・ボールトの指揮の3回だけでした。というわけで、この1959年の演奏は、ライナーのタイトルにもあるように「軽蔑の壁を突き破って」となっている程、画期的で挑戦的なものでした。結局、演奏会場で全演奏者が揃ってリハーサルすることもなく本番を迎えながら結果は大成功でした。(ホーレンシュタインにとってもこの曲の演奏は初めてだった。) ホーレンシュタインの録音は戦前のPolydorへのSP録音以降、20年以上途切れています。Barker氏のディスコグラフィを見ても戦後初めて現れる録音はプライヴェート録音でさえ、1950年のものです。戦前のユダヤ人排斥から後、各地のオーケストラを指揮したりしながら結局戦中はアメリカにいたようですけれど、そのころの録音は残っていません。Voxへの録音で50年代始めにヨーロッパで再び活躍し始めましたが、ホーレンシュタインの名前の復活は、実質的にはこの演奏の成功に帰するものでした。 周知の通りこの曲は、オーケストラと8人の独唱陣、少年合唱を含めた合唱陣の巨大な編成なので、それぞれのバランスに意を払わなければなりません。指揮者といようり、全体の調整役でなければならない。正規録音ならば、調整は机上でどうにでもなりますが、実演ではそうもいかないでしょう。この演奏では、そこのところがかなりうまくいっていると思います。独唱陣の声が引っ込むこともなく、合唱の音割れもなくBBCの収録も申し分ありません。 ホーレンシュタインの演奏は響が濁らないように、端正にまとめている、といった印象です。前年の南西ドイツso.とのVox録音(Brahms)に聴かれる厳しい演奏とは全く違います。晩年の自由で長い呼吸でのドライヴ感とも少し違うのかもしれませんが、全体にみなぎる緊張感は素晴らしく、第2部最後の「神秘の合唱」と呼ばれる合唱から壮大な響きのコーダにかけては感動的です。大きな拍手も収録されていて、この歴史に残る成功を伝えています。 ![]() |
Mahler:交響曲第9番ニ長調 (1) J.ホーレンシュタイン/ウィーン・プロ・ムジカ 52.6 Vienna (Vox) Mono (2) J.ホーレンシュタイン/LSO. 66.9.15L Royal Albert Hall, London Stereo (3) J.ホーレンシュタイン/LSO. 66.4.21L Royal Festival Hall, London E.Stereo (4) J.ホーレンシュタイン/フランス国立o. 67.6.6L Paris Stereo (5) J.ホーレンシュタイン/アメリカso. 69.11.10L Carnegie Hall, New York Stereo ![]() ![]() |
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(1) Vox CDX2 5509 ![]() |
![]() 録音はVox特有のレンジの狭いホール感のないデッドな録音。それでもオーケストラは必死で演奏している様子が感じ取れます。ホーレンシュタインの指揮は、恐らく当時としてはかなり叙情性に寄らないパッショネイトな演奏に聞こえたと思います。特に第3楽章のロンド・ブルレスケの諧謔性に満ちたリズムとオーケストレーションの扱いは、狂騒的とでも言えるような激しい演奏。続く終楽章も重苦しい、というよりきりきりとした緊張感に貫かれていて、言ってみれば「最後まで諦めない」演奏になっています。この辺は好みもあるでしょうが、Mahler指揮者としてのホーレンシュタインの指向性は、この頃には既にはっきりと表れているように感じます。 ![]() この2つの演奏、まずタイミングが違います。後半の2つの楽章がBBC Legends盤で1分以上短い。ともに楽章間の余裕をとっていますから実際の演奏はこれより少し短いのですが、音楽の鳴っている実質のタイミングを比較したのが下記の表です。他の楽章のタイミングと比較すると一様にどちらかが速い遅いということがありませんので、これは再生上の誤差ということではないでしょう。
音楽以外の部分での比較で言いますと、BBC Legends盤では第1楽章が終わって数秒後に拍手が入りますが、M&A盤ではこれがありません。また第3楽章の終わりでもまばらな拍手が聞こえますし、全曲の終わりには拍手と共に歓声が混じっていますけれど、M&A盤ではこれがありません。 演奏内容で言うと第3楽章。終わり近くPiu strettoからティンパニが活躍しますが、BBC Legends盤ではこの中で2カ所早く飛び出しているところがあります。ひとつは13:10あたり、本来その2小節後(630)に叩くべき所を金管のsfとともに叩き始めていますし、同じパターンのPrestoからの入り13:20あたり(642)も2小節早く叩き始めています。恐らく単なる入りのミスではなく奏者の勘違いではなかったかと思います(同じ箇所はM&A盤では14:04、14:18位)。 BBC Legends盤は正規盤ですし、恐らくBBCの音源をそのまま使っているでしょうから演奏日は間違いないでしょう。 第1楽章の入りから清澄な雰囲気です。過度に重くならず、深刻でもありません。 混沌とした演奏と言うと語弊がありますが、全体に曲の構成感を全面に出した演奏とは言い難い。情念の勝った演奏と言えば言えるのかも知れませんが、それによって重くなったりしません。私はホーレンシュタインのMahlerを情念的と呼びたくないのですけれど(そこには表層的な面白味だけが強調されるようで)、ここに聞けるのはやはり特別な世界だろうと思います。 切れ切れの響きが幾らか覚醒した意識の下に寄り集まり先に進もうとするがほとんどはまだ夢の中、過去の風景の中に彷徨っているようです。演奏としてまとまりのない一歩手前まで音は実に自由で、限りなく逍遙する。そしていくつかの旋律で、いくつかの金管の強奏でそれは形になる。空間に孤立する響きはいくつも重なりようやくそれぞれの拠り所を見つけ、堰を切ったように奔流する。音楽はまるで構成を意識させないと言って良いでしょう。音楽は鳴る瞬間だけに意味を持っているような、遙かに茫漠とした風景となり、瞬間瞬間の時の流れに似ています。しかし、刹那的にならないのは、音楽の流れに確固たる共感が潜んでいるためでしょう。 第2楽章のレントラーも基本的には穏やかな演奏といえます。ホーレンシュタイン独特の思い入れの強い節回しは見られますけれど、それ程強い緊張感を強いる演奏ではありません。いくつかのエピソードから喚起される懐かしい情景を写したような印象です。 第3楽章のロンド・ブルレスケは終わりの部分を除けば遅い部類でしょう。ホーレンシュタインは縦の線をぴったり合わせてリズムを厳格にとる指揮者ではないので、バーンスタインのようなリズムののりはありません。幾分ばらついた感じを受けるかも知れません。じっくり歌い込むようなゆったりとした時間の流れが続き、最後のプレストの狂騒へ流れ込みます。この過程での緊迫した高揚感が素晴らしいですね。 終楽章は不思議に暗さを感じません。音楽への共感に満ちていながらも、あくまで音楽的な表現です。これは、R.StraussやSchönbergではありませんが、浄化された世界の音楽ですね。入念に歌われる弦の響きもホーレンシュタインならではの表現でしょう。この感動的な演奏の後に湧き起こる拍手もすごい。 ![]() 果たしてどうなのでしょうか。疑惑ありげですけれど音質の差を無視すれば音楽の作りと音のバランスはBBC Legends盤とほぼ同じですからホーレンシュタインの演奏には間違いないと思います。 追加 イギリスの音楽サイトmusicweb.ukにBBC legends盤とM&A盤について書かれた詳細なレヴューがありました。このM&A盤は66年4月21日のものである旨記述があります。 1966年、彼(ホーレンシュタイン)はLSO.とともにロンドンで2回のコンサートを行っている。ひとつは4月21日、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのもの、もうひとつが9月16日のロイヤル・アルバート・ホールでのプロムスでのもの。4月の演奏の記録はMusic and Arts (CD-235)で1986年以来入手できたが、Legendsからの継続的なホーレンシュタインのリリースにより、今度は9月の演奏を聴くことができる。 演奏はBBC Legends盤に比べても全く劣るところがないと言えるでしょう。むしろこの演奏の方が強い緊迫感を持っているようで、全体の構成もしっかりとしている印象がありますし、コントラストもしっかり付いているのではないでしょうか。これは盤による音質の違いから来る違いなのかも知れませんが・・・。 タイミングは他の4種の録音と比較すると一番長く、特に終楽章が目立ちます。曲への深い没入はホーレンシュタインそのもので(でも恣意的な解釈は皆無)、エンディングの長い静謐な音楽はただひたすら祈るような演奏です。これも素晴らしい演奏ですね。 録音はこの手の盤にしてはかなり良い方だと思います(E.Stereoとなっているのは疑似ステレオのことでしょうか)。音の輪郭も明確ですし聴く分には全然問題がありません。 ![]() ![]()
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(2) BBC Legends BBCL 4075-2 ![]() |
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(3) M&A CD235 ![]() |
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(4) Disques Montaigne TCE8862 |
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(5) M&A CD785 ![]() |