Dvorák:交響曲第9番ホ短調op.95「新世界より」

(1) J.ホーレンシュタイン/ウィーン・プロ・ムジカo.
  52 Vienna (Vox) Mono
(2) J.ホーレンシュタイン/RPO.
  62.1.26-30 Walthamstow Tawn Hall, London (Reader's Digest) Stereo
(1) Vox
  CD8X 3602(7805)
(1) Voxから初めてCD化された52年のMono録音、Chesky盤の丁度10年前ということになります。
 全体にテンポも音楽の作りも10年後の録音とは随分違って非常に興味深い。まず驚くのは第1楽章冒頭、仄暗い旋律が低弦から木管に移り、9小節目途中からffで弦、ティンパニ、ホルンと木管と入ります(0:57〜)。この時この演奏ではホルンがティンパニの音ににかぶる形で出てきます。全音の楽譜を注意深く見ると短い音符でわかりにくいのですが、ティンパニの3つめの音32分音符の後64分休符を挟んでホルンと木管が入ってきます。この9小節目1拍目前後を書くとこんなふうでしょうか。「ズン・ズ・ズン|ド・ド・ドン| |パ・パーン」。しかし、このホーレンシュタインの演奏ではティンパニの音にホルンの1音目が重なっていて、かつ同じ譜面である木管が遅れて鳴ります。つまり本来であれば弦−ティンパニ−ホルンと木管、この3者で受け渡されるところが弦−ティンパニ−ホルン−木管と4者でつながるような感じになっています。譜面上の9小節1拍め、ホルンパートのはじめの休符は二重付点16分休符(64分休符×7)ですが、聴いた感じでは付点32分休符くらいに聞こえます。こういった楽譜があるのでしょうか。私は演奏でも聴いたことがないように思います。後の62年Chesky盤は普通ですので、これはホーレンシュタイン独特の解釈というわけではなさそうです。
 第2楽章はタイミングでもわかるように非常に遅い。Chesky盤に比べ2分余りも遅く、他の指揮者のものでもこれほど遅い演奏はそうお目にかかれません。コーラングレの有名な「家路」の旋律も極めて遅く、このテンポで歌ったらさぞ歌いにくいだろうなと思います。途中32小節からのクレッシェンドで僅かにテンポを速めますが、再び遅くなり、Un poco piu mosso まで続きます。この中間部、つまり3部形式の2部での思い入れの強い歌い方はホーレンシュタインのもの。ここで驚いた点をもうひとつ。ヴァイオリンとチェロのソロから弦のトゥッティで奏される部分、この部分の歌い廻しも尋常ではないのですが、極めつけは113小節目の第1音の強調、初めて聴くと随分驚かれるでしょう。RPO.盤でもこうした解釈が少し残っていますが、ここでは極端で、ホーレンシュタインの唸りが聞こえてきそうな雰囲気です。この楽章では、前後のLargoにおける遅いテンポと中間部の対比を強調するのが狙いだったように思います。
 全体に極めて思い入れの強い演奏でしょう。テンポの設定や、その動かし方も後のRPO.盤に比べればちょっと自然ではない感じがします。Vox時代のホーレンシュタインは表現主義的な強い緊張感を強いるスタイルで、この演奏でも同様なのですが、こうした音楽ではあちこちに彼独特の節回しやテンポの動きがあって面白いですね。

(2) Tchaikovskyの2曲もそうですけれども、こうした曲に対するホーレンシュタインの接し方には随分思い入れが強いように思います。Mahlerの曲で見られる、分裂症的ペシミスティックな思考を音に変換していくような強い構成感というより、曲の内側からの情感を自由に編んでいくような趣です。自分の素直なリズム感と抑揚で演奏すれば大丈夫、というような自信が根底にあるような気がします。それほど何の作為も感じさせない自由自在の指揮ぶり。
 勿論、ホーレンシュタイン独特のあくの強さはあります。ブルッとした低弦の強調、波のように揺れる旋律線、金管群にも表情を要求したかのような(決して綺麗に吹けとは言っていないでしょうが)歌い方と、図太い響きの微妙な使い分け。これらの特徴は他の作品を演奏するときにも見られますが、特にこうした民族色の強い音楽では、それが強い躍動感に結びついているようです。
 第1楽章からアタックの強さと潔い音の鳴らし方でホーレンシュタインの入れ込みようがわかります。これだけ、自信をもって音楽を鳴らせた演奏はチェコの指揮者でもそうはいないと思います。まるで自分の体に染みついた節で演奏しているかのようです。第2楽章ラルゴの叙情性も決して損なわれていません。Vox時代のホーレンシュタインは幾分緩徐楽章の自然な情感に欠けるきらいがあったのは確かですけれども(ひょっとすると意識的だったのかも知れない)60年代に入って随分弾力的になりました。ここに聴かれる聞き飽きた位の旋律が木管と弦によってやりとりされながら進んでいく時の親密な響き、対旋律の有機的な絡み合いを絶妙に浮き立たせているのを聴くとかなり明瞭に違いがわかります。
 第3楽章は一転して軽快ではないが痛快なテンポ。集中力があって豪快。音楽の作りは少し違いますが、ドラティとセルの演奏を思い出させます。そして終楽章はテンポの収縮を自在に使い分けたホーレンシュタイの面目躍如。悪い意味ではなく、情に訴えるというか、後にずっしりと感動が残るような充実した音楽です。この通俗名曲(名曲です)を聴くたびに感動させてくれる演奏はそうありません。
 現代の指揮者にも沢山良い演奏をする人がいますけれども、本当に解釈して演奏しているように聞こえる人は少ない。ホーレンシュタインを聴くと、他の指揮者の演奏が単に音符の上を流れていくような演奏に聞こえてしまいます。本当に音の実体化が出来る指揮者でした。

I II III IV Total 増減
ウィーン・プロ・ムジカo(52) 9:47 14:15 8:33 11:29 44:04 3:23
RPO.(62) 9:21 12:11 7:27 11:42 40:41 0
クーベリック/BPO.(72) 9:24 13:00 8:04 11:45 42:13 1:32 参考
(2) Chesky
  CD 31